From Hip 2022年12月号
全くもって、人生とはどこでどう変わるか分かったものではありません。
よくも悪くも色々な事をやって来た、一筋縄ではいかぬ青春時代でありました。
後に美容師となり、今現在もこうして続けておりますからまごうことなき大好きな仕事に出会えるわけですが初めから大好きだとか小さい頃からなりたかった。
ということはなく、とても図々しくも最後の最後には美容師がある!などと思っていたわけで大変美容師さん達に失礼なことこの上ない人間でした。
私が「美容師」を一つの職業として初めて認識するのは、中学生の時でした。
クラスメイトに高校に行かず美容師になることを決め、美容室へ就職の傍ら通信制の美容学校に入学する道を選んだ同級生がいたからです。
当時、高校へ進学しない選択はまずありえませんでしたが、彼女が胸を張って「美容師になる!」と宣言し、当たり前のように高校受験の準備をしているわたくしたちを尻目に、清々しく凛として自分の足で社会に立っているように感じ、一回りも二回りもおとなに思え、とても眩しくみえました。
「美容師」 高校に行かずに美容学校に入学するのはどうだろう?
そんな風に母に話してみたこともありました。もちろんまったく本気ではありませんでしたが。
それを聞いた母は、驚くこともなく、あの子とは違うのよ、美容師になりたいわけじゃないでしょ。
と見透かされて、却下。もっとも私も本気ではないのですから、すんなり当然のように高校に行き漠然と大学に進学するのだろうとおもっておりました。
中学、高校と演劇部にいた私は、ここでもメイクやらヘアセットやらをするようになるわけです。
挙句の果てには同級生の髪をカットすることまではじめ、ここでも美容師になる何かが沸いて来ていたのかもしれません。
当時の美容学校は1年間、卒業後に1年の実店舗でのインターンを経て、国家試験に合格して美容師となる。
美容師さんたちには大変失礼ではありましたが、この道のりをとても簡単なことのようにおもっておりました。
大学は4年、ところが美容学校はたったの1年。こう思ったのでした。
姉は、1年浪人をして、それでも希望の音楽大学へ入学しておりましたので、当然わたくしも高校卒業後5年は執行猶予がある。とばかりに、最後の1年で決意しようと思っておりました。
頭のどこか片隅には、最後には美容師になればいい!という考えがあったのです。
役者になるつもりがとっとと辞めてOLとなりそれなりにたのしく地元生活を謳歌していたのですが沸々と心の中に何かを表現したい願望が頭をもたげ、やはり、わずか1年で、小さな劇団研究所に潜り込むということになります。
今度は意を決しまして4畳半の小さなアパートを借りて又もや劇団研究生の生活が始まりました。
実際にはやはりわずか1年のことでした。そろそろタイムリミットが来ていたのです。
「美容学校に入りたい!」のわたくしの宣言に、両親はもろ手を挙げての大賛成。
東京のアパートから昼働いて夜間の学校に行くと言っているわたくしに、昼間の学校に行きなさい。
とのアドバイスと、そして、大学を卒業して、海外へ行くことが決まっていた姉の空席を埋めるがごとく、実家生活が出戻り様態で始まるわけです。
というわけで、美容学生としての生活が始まる訳ですが、ここで私は僅か1年と申しましても、まるで知らなかった世界を覗き、びっくりしたり、がっかりしたり、時には呆れたりしながら過ごしていくわけです。
最近私がよく口にする言葉に「好きになるまでやる」という言葉があるのですが。どんなことも続ける。続けてみる。これは大切なことだと思います。
好きになるまでやる。長く続けてやらないと好きにもなれないのですから。
こうして30年以上にわたり美容師を続けているわけですから、大好きに巡り合えた、大好きになった。ということですが、こうなるまでにも長い道のりがありました。たくさんの幸運や、出会いや、もちろんたくさんの失敗も。
さて、21歳半ばで美容学生になった私のこの先は、また次回にお話いたしましょう。
2022年12月 山宮博子