伊勢原・平塚の美容室 Hip
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From Hip 2022年12月号

全くもって、人生とはどこでどう変わるか分かったものではありません。
よくも悪くも色々な事をやって来た、一筋縄ではいかぬ青春時代でありました。
後に美容師となり、今現在もこうして続けておりますからまごうことなき大好きな仕事に出会えるわけですが初めから大好きだとか小さい頃からなりたかった。
ということはなく、とても図々しくも最後の最後には美容師がある!などと思っていたわけで大変美容師さん達に失礼なことこの上ない人間でした。

私が「美容師」を一つの職業として初めて認識するのは、中学生の時でした。
クラスメイトに高校に行かず美容師になることを決め、美容室へ就職の傍ら通信制の美容学校に入学する道を選んだ同級生がいたからです。
当時、高校へ進学しない選択はまずありえませんでしたが、彼女が胸を張って「美容師になる!」と宣言し、当たり前のように高校受験の準備をしているわたくしたちを尻目に、清々しく凛として自分の足で社会に立っているように感じ、一回りも二回りもおとなに思え、とても眩しくみえました。
「美容師」  高校に行かずに美容学校に入学するのはどうだろう?
そんな風に母に話してみたこともありました。もちろんまったく本気ではありませんでしたが。
それを聞いた母は、驚くこともなく、あの子とは違うのよ、美容師になりたいわけじゃないでしょ。
と見透かされて、却下。もっとも私も本気ではないのですから、すんなり当然のように高校に行き漠然と大学に進学するのだろうとおもっておりました。
中学、高校と演劇部にいた私は、ここでもメイクやらヘアセットやらをするようになるわけです。
挙句の果てには同級生の髪をカットすることまではじめ、ここでも美容師になる何かが沸いて来ていたのかもしれません。

当時の美容学校は1年間、卒業後に1年の実店舗でのインターンを経て、国家試験に合格して美容師となる。
美容師さんたちには大変失礼ではありましたが、この道のりをとても簡単なことのようにおもっておりました。
大学は4年、ところが美容学校はたったの1年。こう思ったのでした。
姉は、1年浪人をして、それでも希望の音楽大学へ入学しておりましたので、当然わたくしも高校卒業後5年は執行猶予がある。とばかりに、最後の1年で決意しようと思っておりました。
頭のどこか片隅には、最後には美容師になればいい!という考えがあったのです。

役者になるつもりがとっとと辞めてOLとなりそれなりにたのしく地元生活を謳歌していたのですが沸々と心の中に何かを表現したい願望が頭をもたげ、やはり、わずか1年で、小さな劇団研究所に潜り込むということになります。
今度は意を決しまして4畳半の小さなアパートを借りて又もや劇団研究生の生活が始まりました。

実際にはやはりわずか1年のことでした。そろそろタイムリミットが来ていたのです。
「美容学校に入りたい!」のわたくしの宣言に、両親はもろ手を挙げての大賛成。
東京のアパートから昼働いて夜間の学校に行くと言っているわたくしに、昼間の学校に行きなさい。
とのアドバイスと、そして、大学を卒業して、海外へ行くことが決まっていた姉の空席を埋めるがごとく、実家生活が出戻り様態で始まるわけです。

というわけで、美容学生としての生活が始まる訳ですが、ここで私は僅か1年と申しましても、まるで知らなかった世界を覗き、びっくりしたり、がっかりしたり、時には呆れたりしながら過ごしていくわけです。
最近私がよく口にする言葉に「好きになるまでやる」という言葉があるのですが。どんなことも続ける。続けてみる。これは大切なことだと思います。
好きになるまでやる。長く続けてやらないと好きにもなれないのですから。
こうして30年以上にわたり美容師を続けているわけですから、大好きに巡り合えた、大好きになった。ということですが、こうなるまでにも長い道のりがありました。たくさんの幸運や、出会いや、もちろんたくさんの失敗も。
さて、21歳半ばで美容学生になった私のこの先は、また次回にお話いたしましょう。

2022年12月  山宮博子

シェイクスピアにステテコ!?

そんな役者となるべく劇団研究所に入所しながら、なぜ美容師となったか?
18歳で高校卒業後、美容学校に入学するのは21歳の秋、同級生は大学の4年生の年でした。
その間わずか3年半のことなのですが、どなたでもおそらく同じように、若いわたくしにとっては人生が大きく変わっていった長く怒涛の3年数か月でした。
この年になれば、3年などあっという間。何事も変わらず成長はもちろん、体力の衰え容姿の衰えなどばかりが気になりながらも、昨日と変わらない今日が来ることにむしろ感謝しながらの日々を送っております。
ところが18歳からの3年間は毎日が新しいことずくめ。
この日々を語らずには私の美容師人生は始まらない程に、色々なことのあった日々でした。
何から語るべきなのか?
いずれぽろぽろと語って行こうと思いますがその前に。
胸の中に常に逆地方コンプレックスを抱えていた私には、このほかにも決定的に物足りないものがございました。
これは今も私の悩みであることの一つですが物事を裏から見たり横から見たり、など、柔軟に考える事が苦手というよりは、考え付かないことなのです。真面目といえば聞こえはよいのですが、オリジナリティーにかけること甚だしく思え、えらく自分に落胆する日々でした。
若い、ということは経験も少ないですしまだまだこれからと思えば、いくらでも吸収できるはずなのにシェイクスピアの「夏の夜の夢」をステテコとうちわ片手に演じ始めた同期生にあっけにとられ、天下のシェイクスピアにステテコとは!と脱帽し敗北を感じました。
一言で言って 苦労知らずは経験不足 なわけですから自らの想像力あるいは創造力の無さに、えらく悲しくなったものでした。
後に美容師となり作品を作り上げていく過程でも中々 胸を張ってオリジナルです!といえるものができず 模倣から抜け出せずにいる自分に悩んだものでした。
ですが模倣することから美容師のトレーニングは始まりますから、模倣が身につけばオリジナルとなる。
と言い聞かせたものです。
当時は今とは違い動画もなければ手元に写真も持ち歩けるようなこともなく、わずかな教本、先輩の手元を追って繰り返す。そんな時代でしたから。

とにもかくにも、当時の私を悩ませていたのは、逆地方コンプレックスと、真面目があだとなり、物事を真正面からしか見ることができないという今思い出せば若気の至りとしか言いようのない、愚にもつかないものですが、当時の私にとっては最大に高い壁で、シェイクスピアとステテコを結び付けた同期生への敗北から立ち直ることは難しく心揺らいだ出来事でした。
折りしも、現在の夫との結婚の話も持ち上がり始め、さらに心は揺らいでいくわけです。
高校の演劇部で一緒だった夫の家は商売をやっていた家で、嫁となったらそろばんができないと。
などどいう話になっているらしく、渡りに船とばかりに、わずか半年で研究所をとっとと辞め、あっけにとられるは母を尻目に、上場企業の子会社の経理課にすんなり納まるという展開になりました。
その当時があっての今なので、何一つ無駄なものなどありませんから、後悔だとか、反省などではなく、若いとは怖いもの知らずだな。と感心しながら振り返っております。

まだ美容学校に入学するまでには3年、この後どんな展開で私は美容師になっていくのか。
始めて登場した夫とはいったいいつ結婚となるのか?

この続きはまた来月。
サロンでもお会いしましょう。

2022年11月  山宮博子

ご挨拶はいつも「おはようございます。」

人間60年も生きて来れば、人様に聞いてもらいたい武勇伝やら、苦労話やら、ラブストリーの一つや二つはあるものらしいので、かくいうわたくしにもそんな話はあるのだろうか?と考えてみたものの、ことさらぜひともこれだ!という決定打はなく、かといって何もないこともなく、年相応のノスタルジーと共に、つらつらと語りたくもなります。

小学生で始めたバレエのお稽古は、へたくそなりに、体を動かす、そして表現する、という楽しみ。
メイクアップをして衣装をまとい、別人に変身する喜びに気づかせてもらい、長く続けることとなりました。
公立の中学、高校時代には、部活動は演劇部に所属し、熱心に活動をいたしました。
中学生の時から、ステージで演技をする。ということに関してはものおじもなく、只々楽しいと思ったものでした。幼い時からバレエでステージに立っていたからでしょうか?
高校はごく平凡な田舎の県立高校で、当時のことですから、まず、大学に進学するのが当然の進学校でした。
その中にあって、成績もごく普通。進路指導では、中でも成績の良い現国や古文の勉強をする大学への受験を勧められていたようでしたが、読書が好きといっても、それを極める勉強に励む自分の姿は一向に思い浮かべることができませんでした。
ところが、舞台に立ち、まるで別人の人生やら、苦悩、喜びを表現するのは、楽しくてなりません。
かくして、高校2年生で、都内の児童劇団に通い始めることとなりました。
もちろんバレエのお稽古は続けておりました。本格的に進路を決める段階では、大学の演劇科、劇団の研究所、舞台関連の専門学校。と、的を絞って、再びピアノの個人レッスンの先生へ、声楽で通うことになります。
コンコーネ、コールユーブンゲンなど、懐かしく思い出されます。

高校を卒業と同時に、新劇の劇団の研究所へ研究生として入学。
昼、夜いつ会っても挨拶は 「おはようございます。」の世界に足を踏み入れ、新劇の劇団の研究生としての道を歩き始めました。
と申しましても、実際は母に作ってもらったお弁当を片手に、2時間近くの道のりを行き来し、同じような年ごろから、大学を卒業なさって入所したお姉さんや、すでにこの業界に足を踏み入れて久しい先輩、女優を夢見て上京してきたお姉さんたちなどとにぎやかにレッスンを受けて、歌や踊り、フェンシングなど、多岐にわたるトレーニングに励み、たのしいことばかりでした。
ただ、気になっていたのは、のうのうと両親の庇護の中通っている私は、郷里を離れ、ひとり都内に住んで、アルバイトに励みながら通っている同期生に対して申し訳ないような、そこですでに負けているような感覚にさいなまれたことです。
この感覚感情は、その後今に至るまで、私のどこかに巣くっておりまして、逆地方コンプレックスとなり事あるごとに、私の行動の前に、立ちふさがりました。
これは、今現在も健在でして、コンテストなどで、隣が地方から見えた方だったり致しますと、途端に申し訳なさでいっぱいになり、恵まれている環境でレッスンを受けている私は、入魂がたりないのでは?
などといきなり反省してしまったり。なかなか厄介な代物です。
予選を通過しないと決勝にたどり着けないコンテストには、毎回予選からひたすら通過を願いますから、地方の方は、通過をなさっても、決勝を辞退なさる方がいると知り、大変驚きました。
それはそうですよね。決勝は、東京まで出てきてチャレンジしなければならないのですから、技術以前の壁があるわけですね。
私はもちろん都内は日帰り圏内ですから、恵まれていることに大変感謝をするようになりました。
今になって思い出しますと、私の地方コンプレックスは18歳にして確定したという訳です。

物事の価値感や、評価は18歳くらいで決まり、その後あまり変わることなく大人になっていくのではあるまいか?と私には思えます。
経験が増えることによって加わる価値観はありますが、物事の成否や、大切なものなどは、かなり若い時に決まるのだろうと思います。
この年になって思うわけですから、私はそのようです。
その後、結婚をする、子供を持つなどにより自分より大切なものが増えたり致しますが、根底に流れるものには変わりがないように思います。

若い時は、なかなか自分を愛してあげることが難しいのですが、ある時、「自分が好きです!」
と声を出せたときに、えらく大人になった気がいたしました。
40歳は過ぎていました。
同時に、母に対して「会いたくなったからきたよー。」と照れずに言えるようにもなりました。
酸いも甘いも嚙み分ける年齢ということでしょうか?

今回は、ちょっと変わった高校生だったわたくしの青春時代のお話でした。
さてさてこの先武勇伝はあるのか?
また来月お会いしましょう。
つづきはサロンでも

2022年10月  山宮博子

露天商の口紅

こんな風に私の小学生生活は始まり、教育熱心な母と、昭和の日本の上向きの風に乗り、ご多聞に漏れず何と無く分不相応のような、国民皆中流意識時代の日々を過ごしおりました。

あっさりとピアノの個人レッスンをやめてしまったわたくしには、しばらく致しますと、モダンバレエのお教室が始まる情報がやってまいりました。
バレエの先生は、これからわたくしの叔母になる人で、父の末の弟のお嫁さんになる、という立場の優しいお姉さんでした。
何より、おうちに帰ってからの練習や、先生に1対1で立ち向かわなければならないピアノのおけいこと違って、バレエのレッスンは集団ですから、「ヤマハの音楽教室」同様、間違えたってへっちゃらです。
時と場合によっては、見つからずに済むこともあるかもしれません。
私と、母が飛びついたことは言うまでもありません。
今も変わらずわたくしは、体に柔軟性がなく、当時からどうもみんなと同じようにできないことはよくわかる年にはなっていました。が、単に体を動かすことは楽しく、後々、時々途切れながらも娘を身ごもるまではつづけていくことになっていきました。
もちろん小さな挫折や、若い母をがっかりさせる失敗は切りなくあったはずですが、バレエのおけいこは楽しく、瞬く間に数年が過ぎていきました。
その間両親たちは、小さな土地を買い求め、一戸建の夢のマイホームの建築が始まっていきました。
小さな長屋に住んだのはわずか2年半だったようですが、私にとってはとてつもなく長い年月のように思い出されます。
バレエの発表会の際には、母たちが、真っ白なゴーシュの生地を裁断し、ミシンの音もカタカタとかわいらしいチュチュや衣装を、こさえてくれました。
そのうえ、華やかなお化粧に、私はいやがうえにもテンションが上がり、舞台に上がることに怖気つくようなことはありませんでした。
衣装とメイクアップ、これはとても大事な役つくりです。
もちろん、普段の生活も言うに及ばず、メイクをする、ヘアースタイルを作り、そして装う、とても素晴らしいことだと、早くも8歳程度で、目覚めることになります。

場面は変りますが、母に手を引かれ、平塚の商店街を歩いているときです、まだ、舗道には露天商のお店も出ているような時代です。
ふと母が目を留めたのは化粧品の露店でした。
何度も何度も口紅を繰り出しては変え、何本も見比べておりましたが、とうとう一本も買わずにその場を去ります。
なぜかよく覚えていて、100円化粧品だったように思い出されます。
いまは、100均について暗いイメージは一切ありませんが、当時は、化粧品はデパートの1階フロアーにキラキラと美しく陳列されていたものでして、やはり露天商が扱うものは、子供心にも、何やら怪しげに感じたものです。
母が怪しげに思いやめたのか、手元の財布と相談したものかは、今となってはわかりようがありませんが、なぜか、母が妙に気の毒に思え、「大人になったらお母さんにけしょうひんをかってあげる!」
と心に誓ったものでした。
今は、私は、365日美容師として生き、この仕事を心から愛しておりますので、女性も男性も、どちらにも所属しない人も、装うことの大切さは身に染みております。
もはや、身だしなみの範疇を超え、これは、生き方だなっと実感する日々です。

話はようやく楽しめるお稽古ごとに巡り合えたお話から、思わぬ方向にずれ、装うことの大切さや、母との少し胸が熱くなる思い出までにすすみました。

バレエのお稽古は、その後大人になった私を色々な場面で助けてくれるものとなり、今でもありがたく思っている一つです。
私がメイクやヘアーセットやら大好きになったのは、案外、そこがルーツかもしれません。
この原稿を書きながら、ふと、そんな風に思っております。
綺麗になる。かわいくなる。楽しくなる。嬉しくなる。これみんな同じことですよね。

その後40歳を過ぎてから、母にはわたくしが選んだブランドの化粧品を、亡くなるまで、毎月送りつづけました。

さて今回はこの辺で終わりにいたしましょう。
私の母があの時、100円の口紅を購入していたら、私の人生も少し変わったかもしれませんね。

さあこの続きはサロンで

2022年9月  山宮博子

From Hip 2022年8月号

さて、わずか4歳で、幼稚園を中退する。という悲しい過去を背負ったわたくしのその後。
小さな長屋で昭和の典型的な核家族を始めた両親と、異様に出来の良い姉との4人家族のごくごくありふれた暮らしが始まりました。

私はといえば、小学校入学を1年後に控えた翌年の4月に、引っ越し先の近くの幼稚園に入園するまでの間は、くるくるとよく家事をこなしていく母親の後ろを、一日中ついて回り、やることの無い退屈をやり過ごしながら、ご多分に漏れず、子供にありがちな、なんか面白いことないかな?の日々を過ごしておりました。
後に大ヒットとなる「ちびまる子ちゃん」は、まさしく私だ!
というような子供時代でありました。
これもまた後に知るところとなるのですが、私の育った時代はベトナム戦争の真っただ中、アメリカは私の中では唯一の外国。
1ドルは360円でしたし、英語以外にはよその国の言語があるなど、全く知りませんでした。
なんでもおしゃれで素敵なものはアメリカから来るように思っていたものです。
昭和30年代に生まれております私には、いわゆる太平洋戦争のことについては、まったく知りません。
戦争の時代に学生であった両親からは、おそらく、その話はよく聞いていたはずでしょうが、自ら求めていたものではなかったので、実感はありません。

ただ、その後の朝鮮戦争や、ベトナム戦争は、日本に大変な好景気もたらしていたはずで、サラリーマンだった父の給料は、どんどん上がり、目の前の食卓に並ぶ夕ご飯は、日進月歩良いものになり、小さな長屋住まいの狭い台所には冷蔵庫、勝手口の外には洗濯機、くるくる回るローラーの絞り機のハンドルも輝き、もちろん白黒テレビに、極めつけは、なんと、狭い6畳間にアップライトのピアノの黒い漆がピカピカに磨かれて鎮座しておりました。
教育熱心だった母の考えだったのでしょう。
姉と私は、神社の杜の中の幼稚園で開催される「ヤマハの音楽教室」でオルガンを習い、3歳違い、2学年上の姉は2年間のコースを晴れて卒業し、転居を機に、お近くにお住いの素敵な先生のお宅へ、個人レッスンでピアノを習いに通い始めておりました。

私はといえば、志も半ばで、幼稚園を中退しているわけですから、「ヤマハの音楽教室」も、卒業に至るはずもなく、姉と同じように個人レッスンの先生のお宅へ通うようになるわけです。
これが、新たな幼稚園入園後なのか、小学校入学後であったかは定かではありません。
全てにおいて “出来の良い” 姉は、後に音楽大学のピアノ科に入学致しますので、おそらく私は“おまけ”のような物だったのではあるまいか?

2年間の全過程は全うしなかったものの、「ヤマハの音楽教室」もしかしたら「オルガン教室?」は私にとっては楽しい事この上なく、歌ったり踊ったり間違えても多勢の中の一人ですから指摘されることもない、オルガン演奏も例えでたらめでも楽しいものでした。
ところが、個人レッスンは苦痛で教本をピアノの譜面台に置きレッスン前後には「練習」をしなくてはならないのです。
わずか半年程度で赤いバイエルに「ピアノなんか大嫌い」と大きく書き込みまして、レッスンを辞めさせてもらいました。
この時も、幼稚園の中退時よろしく、あの手、この手を使ったのは言うまでもありません。

昭和30年代、40年代の「ヤマハ音楽教室」のオルガン戦略は「教育」。
それも、子女教育に飢えていた若い母親達の心を大きく揺るがし、その娘たちのその後の人生にも大きな影響を及ぼしたものだった事でしょう。
私もその恩恵を良くも悪しくも被り、「教育」に目覚めた私の母親世代に生々と「子育て」「教育」をさせる事となっていった訳です。

話は古き良き昭和の子女教育となりましたが、そうそう、と思われる同世代の方もいらっしゃいますよね。
こんな風に私の小学校生活は始まって参りました。

今回のお話は終わり。
すべて志半ばで終えている私の“お稽古事”はこの後、どんなふうに展開するのか?

また来月、お会いいたしましょう。

この続きはサロンで。

2022年8月  山宮博子

人生の転機は4歳で起こった!

人生には様々な転機がある。
SNSを始めることによって、私の人生が変わっていったという話は、前回までの話ですが、それ以外にも、これ以前にも様々な転機は訪れたわけで、いちいち上げていったらきりがないくらいです。
今回は前回の続きというよりは、SNS以外にもたくさんあった、またはこれからもあるであろう「転機」について一つ二つおはなしいたしましょう。

記憶の中で最も早く転機が訪れたのは、4歳の時。
両親の転居により入園したばかりの幼稚園を辞めることになった。
実際には、辞めるか辞めずにバスに乗りつぎ私が通いきるか、この選択を4歳児のわたくしは迫られておりました。
母のえらくお気に入りで、姉も通ったその幼稚園は、経営は神社様で、園長先生は宮司様。
園庭は神社の境内の中にあり、丘の上の静かな杜の中にある、今思い出しても良い環境の中にある幼稚園でした。
まだ年若い母は、私をやめさせることがずいぶん口惜しいらしく、後に知ることになる転居の理由とも重なり、私は、首から定期券をぶら下げられ、路線バスに乗せられて、幼稚園の先生の待つJRの駅前までバスに揺られておりました。
その心細いことと言ったら、なんとも表現のしようがないもので、母に手を離され、バスのステップを上り、定期などまともに見せることなく、すぐさま泣き始め、シートに座る気力さえなく、バスの中央あたりに陣取り、駅に着くまで20分以上泣き続けておりました。
とにかく泣きながらバスを降り、また幼稚園まで先生と20分歩く。
一体これを何日繰り返したのか
まだ年若く教育熱心だった母は、何日目で「このこはだめだ。」とあきらめがついたのか?
この、私の全身を使っての「できません!」の抗議は、どのくらいで功を奏したのか??
私としてはこのややこしい通園をとっくにやめる気でいたのに、元々なぜこうなったのかよくわからずに始まってしまっていたことだったわけですから。
母からの説明は、私に少なからず不安よりもわくわくが多いことを強調していたのではないか?
今となっては、母は草場の陰の人であるからどうにも確かめようのないことであるけれど、何日目かに私たち二人は合意し、通園をやめる、すなわち幼稚園中退を決心し、そして、えらく母をがっかりさせたことは言うまでもない。
先に記した転居の事由というのが、父とその実父、私にとっては祖父とのいさかいで、若い夫婦が、父の兄弟までそろって10人以上の家族の昔ながらの家を離れ、核家族化するということにありました。
大変賢い母でしたので、この転居は、若い夫婦にとっても、これからの昭和の世の中にとっても、失敗は許されなかったのです。
臆病者の次女が、理想の幼稚園を中退なんてことは!
申し訳なくも思い出されますが、母の落胆に思いが及ぶのは、この年になったからなのです。
両親にとっても大変な「転機」だったわけでしょう。

今回は、「人生の転機」についてささやかなる私の経験を、お話させていただこうと思ったのですが物語はいつの間にやら、私の両親の話になり、日本の良き時代、昭和のはなしとなりました。

私の「おはなし」については、また次の機会にゆっくりとさせてくださいませ。
何をやっても失敗しない、失敗も経験!と言い切れた良い時代もありましたものね。
昔はよかった!なんて一言ではかたづけませんよ。
今となっては片付かないことだらけ。

さあ、私のサロンでお待ちしております。この続きはサロンでも。

2022年7月  山宮博子

YouTubeの中の山宮博子はまんまです。

こんにちは。
6月といえば1年の折り返しあたり、半分を過ごそうというところ。
何も成しえていないとがっかりしたり、まだ半分も残っているとばかりに安心してみたり、というところでしょうか。
かくいうわたくしも、時間の速さに落ち着いていられない気持ちになったりしておりますが、時間ばかりはすべての人類に公平なはず。
私ばかりが早く過ぎていくものでもありますまいから、焦ってみても、のんびり構えてみても、1時間の長さには変わりはないというわけで、こんな風に改めて考えておりますと、これこそが時間の無駄ではありますまいか?
とはいえ齢60歳を過ぎまして、残りの人生の「時間」に限りがちらつき始めますと、これは無駄ではあるまいか?私の残りの人生の中に費やす時間としてしかるべき事柄か?などと思い始めます。すると、俄然話は変ります。
という訳で「無駄」「無駄でない」の二択を始終しつつ過ごしている毎日です。
この原稿書きは、今のところ「無駄ではない」のカテゴリーに分類され、今現在書き進めているわけです。

さて、コロナ禍が叫ばれて久しいこの頃です、大変困ったことではありますが、私にとりましては、未知の世界でありました SNS を活用する足がかりとなった第一の原因でもあります。
原因などと申し上げますと、よろしくないことのように思いますが、そうとも限らず、連日、お客様の足が遠のく毎日の中、何かせずにはいられなかった。何もせずにはいられなかった。
ひとえにこれなのです。
以前から好きで好きで好きでやっております美容師の仕事ではありましたが、店を構え、スタッフも育ち、お陰様で30年近くの月日を営業して参りました。
婚礼に関わりたいと衣装、スタジオを完備し、自ら神社様や教会に出向きパンフレット片手に営業もいたしました。
これまで積み上げてきたものが、足元から崩れ落ちてしまいそうな、そんな不安を感じないわけにはいかない出来事でしたから、何かを始める  これはまるで今までにない何かに突き動かされるようにして始まりました。
毎日毎日着付けボディに向き合い日に何回も着せたり脱がせたり、帯結びを繰り返す。連日連夜朝も早くから毎朝向き合い、帯結び動画は270以上にもなりました。
スタッフの力も借りて動画を作り、インスタグラムに載せ続けたのです。
今では自分で短い動画に編集して載せることができるようになりましたが、初めのころはスタッフである娘が手際よく制作して送ってくれていました。
この帯結び動画を解説しようと始めたのが、YouTube、ブライズヒップちゃんねるです。
思いがけず皆様に支持され、今では2万人以上の登録者様に支えられ、今も続いております。
YouTubeやインスタグラムでの発信は今では私の生活から切っても切れない存在です。
SNSは独り歩きを始めればおそらく怖い存在にもなるのでしょうが、今のところとても暖かい方々に支えられ、続けております。
YouTubeでわたくしを見つけ、サロンまで足を運んでくださるわたくしの講習生様が、YouTubeのまんまの山宮博子とおっしゃいます。おそらく私もそう思います。そのままのわたくしが正しくYouTubeの中におります。
今しばらくは、SNSを通して世界と繋がりながら、己の世界の構築もしていきたいな。
などと夢を膨らませています。
また来月お会いするときにはこの続きをお話いたしましょう。

それでは この続きはサロンで

2022年6月  山宮博子

From Hip -2022年5月号-

風薫る5月がやってきましたね。
今年の桜は、ここ関東地方では、開花宣言後の冬陽気に、開きあぐねたのか、とても長く楽しめました。
入学式にも桜を眺めることができました。
5月はコロナ禍の中、3度目のゴールデンウイークを迎えます。
かなり、コロナとの共生にも慣れが生じているような日々ですが、引き続きあらゆることに気を配りながら、注意を怠らずに過ごしてまいりたいと思います。

お陰様で、4月5月とご成人式前撮りが始まり、土日には、店内が華やかににぎわっております。
やはりご家族様そろってのお祝いは、何はともあれ、周りも幸せにしてくれます。
ありがたいお仕事です。

さて美容室のフロアーには、長年ブライズルームのスタッフとして、ある時にはプランナーを、時には着付けを、また、マルチ才能を生かしてのパンフレット制作YouTube動画作成等々、あらゆる才能を駆使して貢献してくれていた山本が、ついに、美容師として復活致しました。
もともと美容師資格はあったものの、結婚を機に遠ざかっていましたが、末娘の就学を機に美容師としても活躍を始めてくれました。
10年以上にわたり、私の良きヘルプを務めていてくれた彼女ですから、あっという間に店内に溶け込み活躍を始めています。
どうぞよろしくお願いいたします。

さて、日本の新○○さんたちはそろそろ5月病のうわさを聞くころになりますね。
Z世代と呼ばれる新人類たち(この言葉も終わってますよね。)もこの5月を乗り切って新しい社会に飛び出していってください。
世の中は思い通りにいかないものなのです。それが普通ですから、自分の居場所は自分で作ってください。準備されている居場所は、生まれ落ちたところだけです。
そこから先は、自分次第です。
私も初心に戻って、自らの場所つくりから見つめなおします。

若葉の香りがうれしい季節です。心も体もリフレッシュしに、HIPの扉を押してください。

さあこの続きはサロンで

2022年5月  山宮博子

From Hip -2022年4月号-

こんにちは!
嵐のように忙しかった三月は、あっという間に通り過ぎましたね!
どちらの学校さまにとっても、「大切なご卒業式は、やはりやろう!」とお考えになったのだと思います。
大変たくさんのご卒業式のお仕度のご用命を頂戴いたしました。
ありがとうございました。
数年に一度お会いする先生方から、参列のお母さま、小学生、大学、専門学校の学生様たちまで、様々な方々に袴のお着付け、ご訪問着等々、多くのお仕度に関わらせていただきました。
昨年までは、開催されるかわからない、政府や、地方治自体の発表次第ではどうなるかもわからない。
といった戸惑いの多かった卒業式でしたが。今年は、どちら様も、どう行えば安全だろうか?と試行錯誤しながらも、開催しないという選択は少なかったのではないでしょうか
お陰様で、大変多くのお仕度やレンタル衣裳、のご利用をいただき、スタッフ一丸となって、連日の早朝出勤に当たりました。
忙しくも楽しいひと月でございました。
また、ご婚礼の出張も、比々多神社様、前鳥神社様と承り、その後のご宴席もプロデュースさせていただくなど、わくわくがいっぱいの月となりました。
コロナもわたくしたちの努力や注意で感染防止に努め、いつか生活の制限なく過ごせるように早くしたいものですね。
まん延防止法も解除され、経済は回り始めました。
私も手ごたえを感じています。
4月からは新しくスタッフも増え、にぎやかになる予定です。
ご婚礼にも伺います。わくわくは止まりません!

さて、もう一つうれしいご報告がございます。
3/22に渋谷の国際文化学園のホールで行なわれました、全日本婚礼美容家協会東京ブロックの『コンテスト説明/見学会』の、模擬コンテスターの一人として、当社の本郷が、打掛花嫁部門の展示をさせていただきました。
先にもお話いたしましたように、大忙しの三月、思うようにトレーニングできず、ヤキモキも致しましたが、お陰様で、堂々とステージをこなし、とても好評でした。このような得難い機会にご指名いただき、大変光栄に思っております。
長く続ける、楽しんで続ける、時には我慢して続ける、たまには休む。
この繰り返しで、毎日は出来上がっております。
これからもわたくし達ヒップをよろしくお願いいたします。
さあ、この続きはサロンで。

2022年4月  山宮博子

From Hip -2022年3月号-

年の始めの1、2月はあっという間に過ぎ去ってしまいましたね。
まだまだ続いているコロナ禍の中、当店では卒業式、婚礼とたくさんのご予約を頂戴し、ありがたくもまたおめでたいことでございます。感染対策万全で臨む所存です。
この状況下で果たして卒業式はあるのか?など気をもんでらっしゃる方も少なからずいらっしゃいましたが、どちらの学校も、この状況下でどう開催したらよいか?開催するにはどうするか?とお考えくださり、それぞれが工夫をなさっての開催のようです。
多少の時間短縮や、参列者の人数制限などはありましても、中止されてしまうことを思えば、どれだけ救われることでしょう。
これから新たな道に進むお若い方々の、晴れの門出でございますから。
是非とも卒業式は開催して、送る側も送られる側も、衿を正して式典に臨んでいただきたいですね。
さて今月は、ご婚礼もいただいておりまして、伊勢原大神宮様、前鳥神社様とお伺いいたします。
ご親族様たちだけでの神前式は、今のこの時代にぴったりマッチし、新しい人生を歩み始めるお二人にとって、人生の最高で最大のイニシエーションにふさわしいお式だと存じます。
微力ながらお手伝いをさせていただけることに感謝して、神社様にお伺いいたします。

いずれにいたしましても、このコロナ禍の中でありがたいお仕事ばかりで、ひとえに感謝でございます。

ところで私の着付講習も、ZOOM講習、リアル(実地)講習いずれも大変好評を頂いておりまして、毎月満席、キャンセル待ちの状態でございます。
ひたすら長く続けた成果と思い、ありがたくいそしんでおります。
また、今月は、全日本婚礼美容家協会、東京ブロック様よりご指名を頂きまして、当社の本郷がエキジビションに打掛花嫁で参加いたします。
大変ありがたいお話でしっかりとトレーニングを積み臨む所存です。

さあ春がやってきます。門出の三月です。
どうぞこの続きはサロンで 

2022年3月  山宮博子

From Hip -2022年2月号-

1月は行ってしまいましたね!
昔から年の初めはあっという間と申しますが、本当に通り過ぎていきました。

今年の成人式は、近隣の市町村同様、わたくしたちの市でも、2部に分かれての開催となり、式典自体の時間も短縮され、感染防止に努めながらの開催となりましたが、オンラインや、中止にはならず、ホッと胸をなでおろしました。
男子8名様を含みまして。60名様近い新20歳皆様のお仕度をたまわり、毎年のことながら感動致しました。
当社をお選びくださいまして、本当にありがとうございました。そして、心よりおめでとうございます。

はやくも成人式明けの週末より来年再来年のお嬢様方のご予約が始まり、運命の振袖、素晴らしいママ振りアレンジなど、新しい出会いに、胸躍らせております!
一刻も早くこの、コロナ禍が終結し、マスクなしで、息をしたいものですね

そして、続きまして、卒業式のご予約も次々と頂いております。
卒業式に関しましても、甚だ心配ではありますが、今は祈るような気持ちで、ご予約を頂戴しております。
是非とも開催していただきたいものですね。

いずれにいたしましてもご本人様には一生に一度、親御様にとりましても同様でございます。
人生の節目の大切なお仕度に関わらせていただくようになり久しいわたくしですが、この2年ほどどれだけ心を痛め、痛切な思いで、大切なお日にちをお待ちしたことかわかりません。

まだしばらくは続くと思われるこの状態ですが、晴れやかなお祝いの気持ちは変わるはずもありません。
どうぞご相談におみえくださいませ。お待ちしております。

さあ、春の便りも聞こえてまいりました自然は裏切りません。
美容室の扉を開けてください。変わりたい、進みたい、甦りたい、そんなあなたのお背中を。そっと押しますよ。

この続きはサロンで

2022年2月  山宮博子

From Hip -2022年1月号-

明けましておめでとうございます。
どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

さて、昨年中は、このコロナ禍の中、皆さまには平素に変らぬご愛顧をいただき、本当にありがとうございました。
数日後にはご成人式も控え、すっかり準備万端整いまして、新成人の皆様をお迎えするばかりになっております後は、気になるのはお天気ばかりとなっております。

この後には、1月15日より23日まで、来年、再来年のお嬢様たちに向けて、『成人式ご相談会』が開催されます。
新作振袖はもちろん、小物、バック、草履にいたるまで、20歳をお祝いするにふさわしいお品物をそろえて、皆様のご来場をお待ちしております。
もちろん、この開催が終了いたしましても、いつでも店内には20歳の振袖をご用意いたしまして、ご来店をお待ちしております。
また、おかあさまや、お姉さまの振袖をお召しになるお嬢様たちも、ご遠慮なくおみえくださいませ。
ママ、姉振りアレンジ、コーディネイトでご自分らしさをお出しください。
運命の振袖にいたしましょう!

また、この春にはご婚礼もいただいておりまして、通常の生活に戻る日々が待ち遠しい限りです。
この業界も、披露宴の件数はさすがに激減のようでしたが、写真でのブライダルフォト、フォト婚は、おそらく件数は増えたことと思います。
私が開催いたしております、着付けの講習会には、毎月、皆様遠くから足を運んでくださいますが、花嫁様のお着付けのお勉強にお見えくださる方々が大変増え、春までキャンセル待ちの状況です。ありがたいことです。

いずれにいたしましても、このコロナの状況の中、トレーニング、勉強に励み、ご自分を見つめなおす良いチャンスに恵まれたと思い、わたくし自身も、皆様とトレーニングができる日々に感謝して、過ごしてまいりたいと思います。

いつもの日常は、おそらくこれからもあまりかわることなく、新しい生活様式にわたくしたちが合わせていくことが求められています。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。
春に向かって、新しいご自分を見つけにいらっしゃいませんか。
さあ、この続きはサロンで

2022年1月  山宮博子

神奈川県の伊勢原駅より徒歩1分と平塚市の美容室です。ヘアやカラー、パーマなどの美容室のメニューやメイク、ネイルなど多彩なメニューを取り揃えており、髪のダメージから日頃の疲れまで、癒し系のサロンで髪をケアできます。流行を追うだけでなく、魅力を引き出すために骨格や髪質に合わせたスタイルを提案し、そして希望の仕上がりイメージをしっかり共有したうえで施術し、アフターケアやスタイリングのアドバイスまで納得の仕上がりになる大人女性が支持する美容室です。