from Hip,未分類
2023.03.01
From Hip-2023年3月号- 「職人」?「クリエーター」?
さて、美容学校を卒業いたしましたわたくしはと申しますと、2年目の美容学生のころから
銀座の8丁目の小さな美容室にアルバイトにいかせていただいておりましたが、動機はいたって不純。
8丁目界隈の美容室は、クラブにお勤めのいわゆる素人さんではない方がお客様たちで、毎日いらして
くださいます。
当時すでに週休二日制だったらしいので、美容室も日曜日がお休みで、そこが一番の魅力だったわけです。
そのお店のお客様方はいわゆる日髪を結いに出勤前にいらして下さるわけです。
主婦の方やOLさんたちとは違い、美容室にお見えになることは、毎日の仕事の一つでもあるわけです。
皆さま女優さんのようにおきれいな方ばかり、お着物の方が多かったように覚えておりますが、
当時の私は、いつ先生に怒られるかひやひやしながら、夕方の大忙しの店内をうろうろしておりました。
その仕事のほとんどが網カーラーを巻く、しかもとんでもなく早くです。
当時はいわゆるフードドライヤー、おかまに入るのですが、それも5分で外すと、先生は5分足らずで美しい和スタイルのアップを結い上げてしまいます。
お店に見えてから、30分で皆様お帰りになりますから、わたくしたちが大急ぎで下巻きをいたしますのも当然です。
先生がおひとりで切り盛りしていらっしゃるお店でしたから、わたくしたちはアシスタントで、
下巻きをさせていただいていたわけですが、普通の美容室ならば、ロットのワイディングを練習するところを、今では見かけなくなったロングの網カーラーを手早く巻く練習に明け暮れておりました。
短い期間ではありましたが、この特別なお店での経験は、後のわたくしに、とても大きな影響を与えてくれたところでもありました。
その後、自宅の近くで、電車に乗らずに通える美容室に就職をいたします。日曜日休みには、
ここで終止符をうったわけです。
若い時のわたくしは、ご多分に漏れずまだ仕事に対する考えが甘いばかりか、立ち向かう姿勢も
覚悟の足りないことこの上なく、元気だけが取り柄でございました。
それもこれも今だから言えることで、当時は最終兵器であった美容師になってしまったわけですから
具体的に目指すものはまだ漠然としていて、周りの美容師さんたちの様子を伺いながらの日々でした。
ただ、思い起こせば、「美容師」という人種を、遠くから俯瞰し、何か腑に落ちないものを感じていたことは確かでした。
美容師が職人であることをまだ肌身で感じてはいなかった、ということでしょう。
今も「職人」というくくりで一言で表現してしまうことには、いくばくかの抵抗があります。
強いて一言でというならば「クリエーター」とでも申しましょうか。
本来ならばアーティストと名のりたいところなのですが、残念なことに「アーティスト」とは名乗れない。写真として残せば残りましょうが、美容室の中でお客様のご要望を伺っておつくりする限り、作品と言っては間違いでしょう。
後に頻繁にコンテストにチャレンジし、作品表現を始めるようになるのには、こんなところもございました。
ご要望を伺う,お客様に対しては大切なことですが、クリエーターといたしましては、やはり、
表現の幅が狭まるように感じ、物足りなさを日々募らせておりました。
コンテストではご要望を伺う必要がございません。コンテストである限り、主催者様や
コンテストの意義を理解することは大切だと思いますが、自らの技術を最大限に使い
磨き表現していくことは、表現者としては最高の喜びでもありました。
そして磨かれた技術は、翌日からの仕事に直結して生かされ仕事の幅も広がります。
いつの間にか長く続けることによって、覚悟も備わっていったのだと思いますが、若い日々は
今思い起こせば、顔から火が出るようなことの連続でした。
独身時代まだ歩き始めたばかりの新米美容師のわたくしには、備わっていないものが多く、覚悟もできておらず「すき」の一言だけが頼りで始まったみちのりでした。
さて、暑い夏の日に開店することになった私の小さな美容室のお話は、また先送りとなりましたが、
次回にはたどり着きますかどうか?
今回はここまで。
春ど真ん中。
2023年3月
山宮博子でした。
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