from Hip
2023.02.01
From Hip-2023年2月号- 初めての成功体験
初めての成功体験
さて、21歳半ばで美容学生になった私の毎日はといいますと、学校があったのは東京の品川区というところで、
山の手線の輪から一駅外れた大井町の東京マックス美容専門学校へ毎日通いました。
マックスファクターという化粧品会社が経営しているのだと思っていましたが、
今は、当時とは資本などもかわっていると思いますので、経営媒体については詳細は知りません。
どうしてここだったか?と申しますと深い理由は何もなく、私が知っている美容専門学校はせいぜい山野美容専門学校くらいでしたので、
真っ先にそこに行こうとたくらんでおりましたが、夜間のつもりが,昼間部へという両親のすすめで、調べましたところ、
時は4月の入学は過ぎてしまっていて、秋の入学となると夜間ばかりで、唯一マックスには10月入学の昼間部があったというだけの理由でした。
朝は平塚から品川まで行き、一駅戻って大井町へ1時間30分の道のりでした。
毎日が知らないことばかりの連続。
美容師の仕事が何たるか何も知らずに入学しているわけですからまず渡されたウイッグに度肝を抜かれるわけです。
四角い肩掛けカバンの中身は何なのだろう?と入学式の帰りに電車の座席でふたを開けるのですが悲鳴をあげそうになりました。
こちらを向いていましたし。
このウイッグと何十年にもわたる格闘が始まるとは、まだそのときは知るすべもありませんでした。
当時の私に美容師の仕事の認識と言ったら、髪を結い上げてくれていた近所の美容室の先生くらいしか知りませんでしたし。
自分の髪はいつも長くしてくせ毛を結んで楽しんでおりましたので、カットにもろくに行ったことがありません。
こんな私が、ワイディングのためにウイッグをカットしたり、コームアウトのトレーニングでローラーを巻いたり、
パーマに使うロットを、くるくると巻くトレーニングをするわけです。
一番初めのワイディングの授業では、今となってはたった50本にも満たないわずかなロットを、朝巻き始めたときには、今日中にとても巻き終えるとは思えない!とばかりに気が遠くなったものでしたが、
ついに授業終了の午後3時には全頭巻き終わり、出来はともかく、達成感とともに大変な喜びを感じました。
まだまだ単純な作業であるワイディングではありますが、まじめな私は連日トレーニングを重ね、行き帰りの電車の中でも指にロットを持ち、エアワイディングをしながら通学をいたしました。
毎日は新鮮で、新しいことづくめ。楽しいことこの上ありませんでした。
美容学校の同級生たちはさまざまな年齢、経歴の持ち主ぞろいで、これは、10月入学だからなのだと思いますがあっという間に1年が過ぎていきました。
ただ残念なことに、同級生の中には早々に退学する者、不意にいなくなる者、あるいは授業中にまったく別ことをしている者など、
私が今まで知っている「学生」というにはかなりかけ離れている輩がおりまして、
美容師さんというのはこんなものなのか?とがっかりした面もございました。
卒業前には卒業コンテストがあり、カクテルドレスにメイクとアップの課題。
そしてありがたいことに入賞!
衣装は音楽大学生の姉のステージ衣装を借りて、大学生の友人がモデル。
この入賞が、思い起こせば美容師としての最初の成功体験かもしれません。
夢中で練習いたしましたが、楽しいことこの上ありませんでした。
さて、当時は1年間の学生が終わると、インターンとして美容室に就職して、1年過ごし、その後に晴れて国家試験を受けるというシステムでした。
ですが、マックス美容専門学校には、師範科と申しまして、もう少し実践的なことを学べる上級クラスがございました。美容室でインターンをせず学校でするコースという訳です。
暮れには美容室に研修に伺ったり致しましたが、もう1年学生をさせてもらい、
ボランティアでカットをしたり、撮影の勉強をしたり瞬く間に国家試験となりました。
当時の国家試験は都道府県別でしたので、東京、神奈川、茨城を受験、全て合格いたしましたが、東京だけを申請いたしましたので、免許には都知事の名前が記されております。
いよいよ美容師となるわけですが、実際にはわたくしの美容師人生は、自分の店を開業してようやく本当の意味で始まったように思います。
あれから30年、ひたすら走り続けております。がこんな風に、時々振り返る機会をいただけて、
己の来た道を思い起すことも、自分の内側に目を向けることも必要なことのようですね。
今回はわたくしが美容師としてよちよち歩きを始めたころのおはなしでした。
次は暑い夏の日に開業を始めた、小さな美容室のお話と行きましょう!
それではまた。
2023年2月 山宮博子でした。
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